(憩いま専科) 子育て日記

これは、私(マスター)のページです。お茶を入れるように、うまく書けるでしょうか。えっ?お茶もそんなにおいしくないですって。

  これは親バカの記録です。それは80年代前半にスタートしました。

       どうしてそんなにかわいいんだ

1.・・・・・・になった瞬間

 私には夢がありました。

 

 少年の頃の境遇があまりにおもしろくなかったので、おとなになったらとびっきりおもしろい家庭を作ろうと思っていました。

 だから子育てにも思いっきりこだわりがあって、いろいろなことを考えていました。

 妻にも、子どもを授かったらあーしよう、こーしょうとあきれるほど話しをしていました。

 

 29歳のときに長女が生まれました。

 分娩室から看護婦さんに抱かれて出てきた長女と対面したときに、頭の中にあった諸々のプランはすべて吹き飛んでしまいました。

 

 一瞬で親バカになりました。 

 

2.長女が生まれた日のこと

 長女は午前4時に生まれました。

 

 すんなりとはいかず妻は苦労しました。

 おばあちゃん(妻の母)は心配で、分娩室の前をうろうろしていました。私はなにもできずにおろおろしていましたが、「まだ生まれそうもないので、寝ていてもいい」と、何度もおばあちゃんが言ってくれたので、病室のベッドで寝てしまいました。

 

 そのうち長女は生まれ、前回の話となりました。

 「よかった。よかった」と、おばあちゃんと病院を出るととても朝日がまぶしかったです。

 

 実家は農家で朝が早いので、おじいちゃんはすでに起きて待っていました。

 お酒は飲めない両親ですが、朝ごはんの前に乾杯をしてくれました。あったかでした。

 私は幸せなのですが、なにか夢でもみているような・・・。

 

 後年、田舎に親戚中が集まった席で、おばあちゃんに「娘がお産で苦しんでいるときに、この人はのん気に寝ていたんだよぉ」と言われ、一同大笑いとなりました。

 私は「はめられた・・・」と思いました。

 

3.次女が生まれる日に・・・

 長女が生まれて1年半後に次女が誕生しました。

 長女のときとは違い、次女のときは、妻は実家には帰らずにこちらで出産しました。

 長女はひじょうに良い子で、子守をする私は助かりました。

 

 いよいよ今日あたり出産かという日が来て、妻と長女を車に乗せて産院まで行きました。やはり出産は今晩らしいということで、長女は私の実家にあずけることになっています。

 

 「おかあさんはいよいよ赤ちゃんを産むからね。いい子で待っててね」と長女に言うと、長女は拍子抜けするほど明るく返事をしてさっさと車に向かいました。まだ1歳半ですから、歩き方もまだ赤ちゃんでした。

 

 妻はその長女の後姿を見送りながらボロボロ涙をこぼしました。

 その光景は、一枚の名画のように目に焼きついています。

 

4.エッ、アッ、ハッ、はい。

 妻の背中から腰にかけてさすり続けました。

 後に「あなたは下手だった」と言われ、今でもやっぱり下手なのですが・・・。私としては精一杯でした。

 

 妻は分娩室に入りました。

 私も妻の背中や腰をさすっている状態のまま、とりあえずいっしょに入りました。

 小さな産院だったのでアットホームな感じなのですが、先生や看護婦さんがそれらしいスタイルで次々と入ってくると、さすがにちょっと緊迫したムードになりました。

 

 スタッフが勢揃いしたので、妻の枕元にいた私はそろそろ退室しようかと思いましたが、そのときでした。

 「ご主人、そのままいてくださいますね」と、看護婦さん(先生の奥さん)がいともたやすく。

 

 1980年代半ばの話です。今とは違って、夫が出産に立ち会うなんていうことは、まだまだまれな話で。現に、つい1年半前の長女の時だって、そんな話はまったくありませんでした。

 ですから今回も、そんなことはまったく考えてもいませんでした。

 

 しかしそう言われてしまうと、「エッ、アッ、ハッ、はい」と答えるしかなく。少し上げかけた腰を、またイスに下ろしました。

 

 妻の手を握っていることしかできません。目の前で起きていることが現実ではなく、まるで映画を見ているような気分でした。

 時間は経ったのでしょうか。そうでもなかったのでしょうか。先生と看護婦さんが「もう少し。ほら、がんばって」と。

 

 次女は誕生しました。「おぎゃー」と一声、かわいく泣きました。 

 

5.四人家族になりました

 次女が退院する日は寒い日でした。

 病院の玄関まで、院長先生をはじめ、みなさんが見送りに出てきてくれました。

 

 次女は院長先生に抱かれていました。

 院長先生が次女の耳元で言いました。よくは聞き取れませんでしたが、きっと「大事にしてもらうんだよ。しあわせにね」っていう感じだったと思います。ありがたかったですね。

 

 さぁ、4人家族になりました。今回は妻を実家に帰せなかったので、おばあちゃんが田舎から出てきてくれました。農閑期でよかったです。

 家では、おばあちゃんと長女が待っています。雪がちらついてきました。寒いはずでしたが、あったかかったですね。

 

 家に着くと長女がはしゃいでいました。うれしかったんでしょうね。妹ができて、お母さんも帰ってきたし。

 部屋中を走り回っていました。私はちょっと身が引き締まる思いでした。「しっかり稼がないといけないし、健康に育って、いずれは幸せな家庭を持ってほしいし、そこまでちゃんと育てられるだろうか」と。

 

 でも、今日はまずお祝い。おばあちゃんもいてくれるし、私は、乾杯、乾杯。

 

 

6.先手必勝

 私には子育てに対する夢があったと、最初に書きました。でもそれは、生まれたての長女と対面したときに頭の中から消えてしまいました。

 ですから子育てに関しては、妻と相談し直しです。

 

 できるだけ、「ダメ」を言いたくないと思いました。叱ることも時としては必要なんでしょうが、できるだけ、叱ったり、怒ったりしないで子育てをするにはどうしたいいか。

 そんなことをずいぶん話し合いました。そして出た結論が、「子育ては先手必勝」でした。

 

 まず、してはいけないことをじっくり教えます。ことある毎に、繰り返し繰り返し教えます。

 子どもが小さいうちは、とにかく危険から遠ざけなくてはなりません。熱いとか、きたないとか、あぶないとか、ほんとに基本的なことですが、けっこう危険は多いものです。

 

 そして家の中で、壊されたり、いたずらされたりしては困るもの、口に入れては危険なものなどは手の届かないところへ避難させました。

 かわいんですけど、ちょっと目を離すととんでもないことをしでかすので、片時も目を離せませんね。

 

 でも私も妻も、叱らず怒らずほめました。

 笑っても泣いても、寝ても起きてもほめました。

 あくびをしても、くしゃみをしても、げっぷをしてもほめました。

 

7.キャラクター当てクイズ

 私は仕事の関係で、東京ディズニーランド(オリエンタルランド)の常務の講演を聞く機会に恵まれました。

 あれはTDLが開園して、まだ1・2年目の頃です。

 

 私は遊園地というのがあまり好きではありませんでした。ぐるぐる回る乗り物も、お化け屋敷も苦手なのです。

 ところが、その常務の話にすっかり魅了されてしまい、それ以来仕事も兼ねて一人で通いました。

 そしてさらに、これは家族で来ようと思い立ち、ずいぶん通いました。

 

 最初に家族で行ったときは、長女はまだよちよち歩き、次女は妻におんぶされていました。

 あの頃は、ミッキーやミニーと写真も撮り放題でした。なつかしいです。

 

 TDLがいくら大好きでも、そこに住むわけにはいきません。

 当時はビデオのベータがまだ元気でした。我が家に、そのベータマックスのディズニーのソフトをずらーっと揃えました。

 毎日、ディズニーです。朝から晩まで。私も毎晩付き合いました。妻は「ダンボはもう、今日5回目なんだけど」という具合でした。

 

 その甲斐あって、TDLで出会うキャラクターはすべて、名前と出ている作品名が言えました。

 もちろん家族4人で競うように、それぞれのキャラクターの声色をまねてせりふを言い合いました。

 

 その後、私たち一家にはジブリブームも巻き起こるのですが、結構のめり込む一家なので、車で遠出をするときに、作品名とキャラクター当てクイズをやりました。

 さっき書いたように、誰かが声色をまねてせりふを言います。分かった人は、はいと手を上げます。出題者が指名をしますが、車の中は「はい」の連呼で、実にハイな状態になります。

 

 あれから何年過ぎたでしょうか。今でもときどきやっています。

 

 

8.読み聞かせ

 娘たちが2・3歳の頃から小学校へ入る頃までだったでしょうか。

 夜、寝るときに本を読んであげました。


 私は、小さかった頃にそのようにしてもらった記憶はまったくありません。でもずっと、子供を授かったらそのようにしてあげたいと思っていました。

 長年の夢だったので、そのようにしてあげられるということだけで、私のテンションは上がってしまいました。


 娘たちは話を聞きながら寝るというよりも、毎晩、騒ぎ疲れて寝たというほうが正しいかもしれません。


 私は、本のお話をめちゃくちゃにしてしまうのです。


 話していうるうちに、全部、喜劇になってしまいました。娘たちは良く笑ってくれました。

 私は、即興で歌や踊りも創作してしまうので、娘たちもしまいに布団から飛び出して踊り出しました。そして疲れて寝るのです。


 初めは即興ですが、毎晩のようにやるのでしだいにメロディーは普遍になりました。歌詞は本のせりふを使っているので間違えようがありません。

 ほんの1・2小節なのですが・・・。


 あれから四半世紀経ちますが、娘たちも私もいまだに歌えます。


 迷惑をこうむったのは妻です。


  私の帰りが遅い日は妻が読み聞かせをしたのですが、例の箇所にさしかかると、娘たちから苦情が出るのです。

 「ちがうよぉ」って。

 

 私は何度も妻に叱られました。

 「私にはできません」と。


9.スキーで根性を鍛える?

 娘たちには3・4歳からスキーをやってもらいました。

 それは私にとって、20歳の頃からの夢でした。家族で並んでゲレンデを優雅に滑るのが・・・。

 その夢は、私が35歳のときに叶いますが、今回の話はそのスタートの頃のことです。

 

 若かった頃の私は、冬になるとスキースクールに通い詰めで猛特訓。そのうちに若かりし日の妻と出会うと、今度は妻を猛特訓しました。

 すべては夢の実現のため。

 

 しかしめでたく結婚をして娘たちを授かると、夢の中身がちょっと違ってきました。

 それまでは、ただ家族で楽しく滑りたいと思っていたのですが、現実に子育てが始まってみると、この娘たちに自信を持って欲しいと思うようになりました。

 自信を持ってもらうのはなにもスキーでなくてもいいのですが、せっかく続けてきたことなので、スキーをうまく活用しようと思いました。

 

 うまい具合に「3歳児からスキーを始める方法」みたいな題の本と出合いました。その本のとおりに、最初からきちんとした用具をそろえました。

 あの本と出合わなかったら、私の夢は実現しなかったかもしれません。

 

 ゲレンデではお互いをザイルでつなぎます。私と長女。妻と次女。ザイルの長さは3mくらいだったでしょうか。

 上りでは引っ張りあげて、下りでは後ろからブレーキをかけます。

 小さい子どもは重心が低いので意外と転ばないのです。

 

 体力勝負でしたね。いくら小さいといっても、けっこう重たいですよ。若かったんですね。妻も私も。

 リフト(2人乗り)は楽しかったですよ。景色はいいし、小動物の足跡なんかがあると話が盛り上がりましたね。

 4人乗りリフトの場合はもっと盛り上がりました。

 

 滑るときはできるだけリフトのそばを滑りました。

 とにかくかわいいのです。二人ともぬいぐるみのようで。だいたい歓声が上がりました。

 あの当時、私たち一家のようなスキースタイルのご家族に出会ったことは、一度もありませんでした。お勧めなんですけどね。


 いい思い出です。


10.「くもん」じゃなくて「じゅうもん」

 公文のさらに上を行こうと思い、十文という名の塾を開くことにしました。娘たちが小学校34年生の頃だったでしょうか。

 

 結論から言いますと、3回ほどやって終わってしまったような気がします。しかし、なにをやっても中身がないわりには思い出としてよく残るもので、いまだに話題に上ることがあります。

 

 塾生は長女と次女の二人だけ。先生は私。

  実は後年、勉強を教え続けるのは妻なのです。結局十文塾は、我が家のお笑いネタとして残っているわけでして・・・。

 

 さらに言えば、長女も次女も勉強のことは妻に、「みんなを盛り上げるには」関係のことは私に、という具合に役割分担がはっきりしております。

 

 ですからこの話は、まだそのような役割分担がはっきりする前のことです。

 

 たし算、ひき算に九九算とか、それに漢字などなど。

 長女は要領が悪く、次女は要領がいいのです。長女は一所懸命聞いているのに、?????みたいな顔になり、隣で聞いていた次女が理解してしまって、さっさと問題を解いてしまうのです。

 双子ならよかったのですが、年子なのでよけいにややこしい。

 

 ちなみに、お母さんになった長女ですが、九九算の7の段の途中が今でも怪しいのです。


 

11.門限はありません。

 ご近所迷惑だったかも?

 

 子どもが小学校高学年にもなってくると、多くのご家庭で「門限」なんていうものを決めるんじゃないでしょうか。

 

 これを書いている今、長女は結婚をして娘が1歳3ヶ月、次女はまだ独身ですが彼氏がいます。年齢も20歳代後半です。

 

 最近、次女の帰りが遅いので、妻と二入の夕食時になにげなく「毎日毎日遅いなぁ。門限を決めるか」と、ボソッと言ってしまうと、すかさず妻が言い返しました。

 「今さら何を言ってるの? 娘が小学生のときに門限なしって決めちゃったのは誰?」

 

 別にカッコつけてそう言ったわけではありませんが、娘たちを信じていましたから、そんなものは必要ないだろうと思いました。それと、当然あるべきもの(門限)がないと、娘たちはどう育つだろうと思いました。

 

 結論から言えば、問題はなにもありませんでした。

 娘たちは常に「あー!楽しかったぁー」と帰宅しました。そしてそのまま成長して、自分の夢にまっしぐら・・・。

 

 正直な話、いくつになっても遅くなるといつも心配なんですよ。ほんとはね。大事な娘ですから。

 

つづく

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